長崎県からこんにちは。
波佐見焼の窯元、高山です。
前回投稿のつづきから。
|前回のまとめ
“やきもの戦争”とは。
豊臣秀吉が朝鮮に侵略した「文禄・慶長の役」の事を比喩しているという事がわかりましたね。
朝鮮へ実際現地へ行った各大名たちは陶工など技術の高さに見惚れ、日本へ一緒に来てくれないか、と交渉して渡来したようです。
連れ帰った後ですが、「身分」を与えそれぞれの領内に定住・帰化させました。
その頃の日本は『陶石から磁器が造れる』という事を知らなかった時代。土を練って造る"陶器"のみ製造をしていたそう。
そこへ多数の朝鮮人陶工が渡来、西肥前一帯にたくさんの窯場が築かれることとなりました。
そこからの日本の陶磁器生産は目まぐるしい発展があり、「やきもの戦争」と言われるようになったようです。
|『やきもの戦争』について波佐見の有識者は

ちょうど別件の取材があったので、「やきもの戦争」についても調べられるな、と楽しみに向かった。
大きなパネル展示で、波佐見焼の成り立ちなど年表にしてあるため確認。
さて「やきもの戦争」の「や」の字も見当たらない。
「ねぇねぇ館長さん。」とお尋ねしてみました。
| 館長さんとAさん
余談ですがこちらの館長である山口さん。
とっても気さくな方で、波佐見町2年目の私にも色々ご指導をしてくれる頼れる存在。
私「やきもの戦争の事を調べたいのだけど見つかりません。」
館長「ん?なんだっけそれ」
私(・・・おかしいな?)「秀吉の朝鮮出兵の時の話しかと思います、陶工さんたちを連れ帰ったという。」
館長「あ~そうだったね。それね、波佐見ではあまり言わないのよね。A君(詳しい方)、ちょっといい?焼き物戦争って言葉、使わないよね~波佐見では」
A「そうですね、資料には出てこないですね」
館長「どこで使われてるんだろうね~・・・」
ですって!
ネットだけで何かを知った気になるのは大変危険ですね。
勿論、実際使われてはいるのですが、私が情報を発信する「波佐見町」で使われていない言葉である、というのは知っていてよかった。
そこからこれまで記述しました、陶工さんたちのその頃のこと、どのような生活であったか、陶石の事、たくさんのお話しを聞くことができました。
| 話しを聞かせていただける環境があるということ
SNSの投稿にも書いたのですが、この町の先駆者であったり、専門に勉強されている方、窯業界にて長く働かれている先輩方からこれまでの経験を簡単に聞けることを普通だと思ってはいけません。
感謝し、その時間得たものを無駄にせず成長していきたいものです。
|まとめ
歴史のお勉強とっても楽しいですね。
次は何を題材にして調べてみようかな。
調べるというより、まずは事実を辿ってみよう。
ではまた。
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② 焼き物の歴史を知ろう |「やきもの戦争」って知ってる?
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