長崎県からこんにちは。
波佐見焼の窯元、高山です。
|歴史の話し、好き?
いきなりですが、歴史の話し興味ありますか?
閲覧数下がるんですよ、やっぱり。
とっても面白いんだけど
"焼き物"に携わってないと興味ないよね~。
私も基本的に歴史苦手分野。
学生時代、時系列が整理出来なかったんだ。
今は窯元の広報という仕事柄、色んな方と交流をしていく必要があるため話せなくてはいけません。携わっていると興味もわいてくるものなんです。
なので楽しんで覚えていきたいと思っています。
お付き合いくださいませ。
|波佐見町歴史文化交流館
今回は、「波佐見町歴史文化交流館」の方へお話しを聞く機会がありました。
そこには”THE専門家”の方も在籍されており、頼もしい。
その方が今まで学ばれてきたことを、さらりと教えていただける事。
感謝しなければ。
大変ありがたい時間でした。
しっかり宣伝させていただきます。
聞けたお話しは、しっかり残そう。
|焼き物の歴史を知ろう |「やきもの戦争」って知ってる?
“やきもの戦争”とは。
明征服をめざす豊臣秀吉が(1592~1598)にかけて朝鮮に侵略した「文禄・慶長の役」の事を比喩しています。
このやきもの戦争、秀吉より「優秀な職人を連れ帰るよう」命令が出ていたという話しも見たのですが、実際現地へ行った各大名たちは陶工など技術の高さに見惚れ、日本へ一緒に来てくれないか、と交渉して渡来したようです。
連れ帰った後は、それぞれの領内に定住・帰化させています。
|陶工たちって、無理やり連れてこられたのかな
まだ知識も浅いころ、私はそう思っていました。
であれば、今扱っている陶磁器も何だか悲しみの産物のように思えている時期も。
今回「陶工や職人は、厚遇されており、日本へ来て生きやくなった方もいたのではないか」という話を聞くことが出来、少し安心したところです。
※先ほどインスタのコメント欄で教えていただけた事がありました。
少し雑談ですが、「やきもの戦争」というワードで、「ちょうど調べてたよ」なんてやり取りできるとは思っていませんでした。嬉しかったなぁ。
さて、一部ご紹介すると
「当時の朝鮮では陶工は奴隷と同じ身分だった」との事。
つまり日本へ来たことで豊かな暮らしが出来たのでは無いかと推測できるんですね。
これを知る事で、とってもしっくりきました。
ここで一つ。知っておきましょう。
戦争という背景がある以上、渡来した中には職人では無い"位"の方々もいらっしゃったこと、豊かな暮らしを提供できた方ばかりでは無いこと、想像できますね。
|それまでの日本って、食器どうしてたの?
陶器です。土から作る陶器。
職員さんに聞いた、知らなった事のひとつ。
「その頃、日本は陶石から焼き物が出来るって知らなかったんだよね。」
驚きでした。西肥前地区ではすでに陶器は生産されていたそうですが、へーっ!
陶石から磁器が造られるんだと知った日本。
それはまさに『革命』。
そこから磁器が生まれたんだ、すごいなぁ。
少し長くなってきたので、こちら次回に。
ん?前の投稿も半端になっていたような・・・
ごめんあそばせ。
ではまた。
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